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日本ハムが松坂世代最後の大物を強行指名
米大リーグ・アスレチックス傘下3Aサクラメントを解雇された多田野数人投手(27)の日本球界復帰が19日、決定的になった。米球界復帰を視野に入れていたが、日本ハムが19日に都内のホテルで開かれた大学・社会人ドラフト1巡目で強行指名。高評価に一気に軟化し、入団へ前向きな姿勢を見せた。メジャーで1勝を挙げた実績を持つ「松坂世代」の最後の大物と呼ばれる剛腕。メジャー経由でプロ入りする異色のルーキーが誕生することになった。

 腹は決まった。サプライズ指名から約5時間後。多田野はメジャーへの思いを断ち切っていた。「高い評価をしてくれるチームでやりたいというのがあった。すぐに結果を出したい」。多田野サイドが掛け合い、思い出の神宮球場の記者席裏のスペースを借りた。6年越しの夢をかなえた喜びからか“所信表明”まで飛び出した。

 心の準備はできていた。ア軍を解雇されると、水面下で日本ハムが接触。代理人を通じ、指名の可能性を伝え聞いていた。今ドラフト前には日本ハムが、12球団などに指名の可能性がある旨を伝える「指名可能通知」をコミッショナーへ提出。3Aバファロー時代の監督、ブラウン監督の広島までが指名を検討した。「すごくありがたい」。日本ハムが“外れの外れ”ながら最上位指名し、揺れていた気持ちは固まった。

 02年ドラフト。自由枠候補だった。立大のエースとして6大学通算20勝。同期の大学生投手で、エース同士でしのぎを削った早大・和田(ソフトバンク)らとともに注目の的だった。だが肩、ひじの故障に複雑な事情も絡み、指名見送り。米へ単身渡り、再挑戦を期してきた。この日は都内の自宅で、家族とともにテレビでドラフト中継をチェック。「名前が挙げられた瞬間、喜んでくれました」と感慨に浸った。

 最大の武器は、誰も持ち合わせていないキャリア。米での5年間で、さらに自分を磨き上げた。04年の初先発初勝利で1勝を挙げるなどメジャー昇格も味わったが、ほとんどがマイナー暮らし。「言葉が通じない中でやっていた。何でも対応できるような精神力がついた」。9月下旬に帰国してからは母校の中学校で地道に練習し、この時を待っていた。

 その姿をずっとチェックしていたのが、日本ハム。02年には自由枠での指名も検討していたが、断念していた経緯がある。山田GMが渡米した今夏には、極秘でサクラメントの試合を視察。登板機会はなかったというが、継続調査を続けてきた。多田野も中日との日本シリーズをテレビ観戦。「やりがいがある球団」と好印象を抱いていた。

 日米の“遠距離恋愛”が成就し、来季は6年ぶりの日本球界復帰、初の日本プロ野球への道が開けた。今後は代理人を通じて交渉するが「日本ハム多田野」の誕生は決定的だ。この日、八千代松陰の後輩、大場が同じパ・リーグのソフトバンクに1巡目指名された。日本ハムも入札抽選したが外れ、巡り、巡って、同順位のライバルになることになった。「いい投手になったし、投げ合いたい」。異色の“逆輸入”オールドルーキーが、遠回りした分を取り返すために再スタートを切る。【高山通史】

 ◆多田野数人(ただの・かずひと) 1980年(昭和55)4月25日、東京生まれ。八千代松陰3年夏の甲子園に出場。立大で大学通算20勝、334奪三振、防御率1・51。03年に米インディアンスとマイナー契約、04年4月にメジャー昇格。メジャー通算15試合1勝1敗、防御率4・47。181センチ、80キロ。右投げ右打ち。

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